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![]() kamal は2006年1月にオープンしたギャラリー&カフェです。 大石一馬は、1983年より10年間程ネパールに通いつめヒマラヤを撮っていましたが、1994年剱岳・チンネの氷壁で滑落死しました。遺されたたくさんの写真をご覧いただきたく、姉(和田泰子)である私の家の一角にフォトギャラリーを開設しました。 このブログでは、展示の案内やkamalの日常などをお届けします。 お近くにおいでの際はぜひお立ち寄りください。 このブログに掲載した一馬の写真は、カテゴリー“一馬のフォト”でご覧になれます。 カマルの地図はカテゴリー“アクセスマップ”をご覧ください。 NEW!! 1月 24日 久しぶりの積雪 昨日夕方よりの雪が積もり、一面の銀世界となりましたね。
早朝早く起き庭の雪かきを久しぶりでやりました。 その前に写真をと・・・。 ![]() カマルの看板も寒さに耐えてきたという感じでした。 北側から吹き付けてきたことが良く分かりました。 ![]() ここ町田市木曽地区の積雪は7~8cmといったところでした。 庭に置いた車の屋根のゆきです。 ![]() カマルの屋上から西方面の丹沢山塊を望んだ風景です。 日本には何と電線が多いのかが一目で分かります。 電線を外した風景を市街地付近で撮ることは不可能のように感じます。 ![]() 今朝車のスリップ事故が多数レポートされていました。まだ明日も降りそうな気配ですので、皆さまお出かけにはご注意ください。 昨年10月~11月にネパールを訪れた際にボーダナートのタンカ屋さんで購入したタンカです。
額装してカマルで展示しています。 ![]() タンカとは仏画の掛け軸の総称であり、曼荼羅(曼陀羅)は仏教の聖典タントラから描かれた四角、丸や三角形の幾何学模様のタンカの事の様です。 今回購入したタンカ(曼荼羅)は時輪曼荼羅(カーラチャクラ曼荼羅)と言われるものですが他にもいろいろなタイプがあるようです。 2010年1月に上野の森美術館での聖地チベット展へ行きましたがこの時もたくさんのタンカが見られました。 タンカは元々仏教の僧侶が村々を回った際、教えやお釈迦様の事を説くために作られ、持ち運びに便利な掛け軸にされたようです。 今日15日でカマルは7年目に入りました。
皆さまに支えられてあっという間の6年間でした。 年始のご挨拶を忘れずに今年もやって行きたいと思っていますのでよろしくお願いいいたします。 新たなスタートに合わせ大石一馬の写真も入れ替えました。 ネパール・アンナプルナ山群とクーンブ山群を展示中です。 また、池田郁子さんの油絵も新しく花の絵に替わりました。 題名は 「いっしょ!!」 。 F6サイズで春を迎えるにぴったりの絵です。 ![]() どうぞ近くでご覧いただきたいと思います。 蠟梅が満開ですよ、という声に時期を逃すまいと忠生公園へ行ってきました。
狭いながらも纏まって植えられているどの木も満開で、良い匂いがあたりに満ちていました。 ![]() ![]() ![]() ロウバイ科「マンゲツ」という名が表示されていました。 花が蠟細工のように見えるところから蠟梅といわれる説と蠟月つまり陰暦の12月に咲くので蠟梅という説もあるようです。 どちらを支持しますか? よく見ると本当に精巧な蠟細工のようです。 冬の花の少ない時期に楽しめる貴重な花です。 今年の年賀状にはアマ・ダブラム(6812m)を使いましたがやはりヒマラヤの王はエベレスト(ネパール名;サガルマータ)です。
同じクーンブに属して他を圧倒する迫力があります。 ![]() 奥がエベレスト手前右がローツェ、左にヌプツェ(7855m)です。 エベレストはザイルがFIXされたりして、エキスパート以外でも登れるようにはなってきていますが8848mに対する高度順応そして最も不確定要素である天候の見定めといった高いハードルが待ち構えており、大変厳しい事には変わりありません。 しかし好天で雲のない時頂上に居て「ぐるり360度の展望」をこの目で見てみたいものですね。 新年おめでとうございます。
皆さまに支えられながらカマルも7年目に入りました。 今年も大勢の方々との出会いを楽しみに、人と人の繋がりを大切にしていきたいと思います。 念頭にあたり、心穏やかな一年であります様祈念しております。 ![]() 2011年も大晦日となりました。
未曾有の震災の爪痕は深いながら一歩一歩改善が進んでいるようですが、原発という人災は今後半世紀とか世紀を越えねば元には戻らないとの覚悟がひつようです。 カマルの一年は朝日新聞の11月2日夕刊で紹介していただいた事の影響が大きく、遠方の方含め新たな出会いが沢山ありました。本当に感謝しております。 ブログは気ままな更新でお待たせしてしまったことを反省していますが、日時の経過の早い事を今更ながら肝に銘じているところです。 来年はあまり写真を載せることにこだわらず更新したいと思います。 カマルは今週早めにお休みを戴き、今年も孫たちと一緒に相模湖の遊園地へ一泊での遊びに行ってきました。トレーラーハウスに泊まり、二日間乗り物やアスレチックを楽しみました。 ![]() 富士山もTOPが覗いていました。 ![]() 今年も夜のイルミネーションは素晴らしく、夜の冷え込みは厳しいものでしたがお客さんは昼間よりも大勢でした。一度見る価値はありますよ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 観覧車にも富士山が。 ![]() 来年は地球が、日本がそして皆さまが穏やかな一年となりますよう祈念しております。 最後に先日久しぶりの皆既月食がありましたが、深夜0時頃の姿で少し戻り始めている姿を見ていただき今年の終わりといたします。 ![]() 久しぶりで一馬のフォトからカンチェンジュンガ山群のトゥインズ(7350m)です。
![]() 中央やや右のいくつか連なった山がトゥインズで、ネパールとインドの国境沿いにあり、写真右手の尾根を進むとカンチェンジュンガ(8586m)につながっています(カンチェンジュンガとの距離は約4.5kmとのことです)。 上の写真は西峰で7350m、2km余離れて東峰(写真の中央)が7005m、この二つでトゥインズと言うことですが少し離れすぎの感じがしますね。 ![]() トゥインズ(双生児)は英語名です。 1984年にネパール政府は「ジンミゲラ・チュリ」と改名したそうですがあまり使われていないように思われます。 登山史では1994秋日本シッキム・ヒマラヤ登山隊が初登頂に成功したそうです。しかしその後の悪天候で救出が進まず、雪で埋まったテントから2人の遺体を発見したそうです。 登山は天候次第で生死を分けてしまうものですね。 2011年もいよいよ最後、穏やかに終わって欲しいものです。
Kamalも昨日OPENいたしました。 一年を通じて飾らせていただいています池田さんの油絵、ネパールの旅を載せていたため遅くなりましたがここで紹介いたします。 「無心の風」と題された6号の作品です。 ![]() イギリス15世紀の石橋「スレッダー橋」が描かれています。 池田さんのどの絵を見ても思うのは、静かで温かな心が伝わってくることです。 2日ほど留守にしていましたらインターネットが繋がらなくなっており、復旧に手間取りブログの更新が出来ませんでした。
2011年ネパールの旅は今回で最終回とします。 トレッキングでお世話になったホテルは、旧王宮から日本大使館に向かう道路の途中にあるRホテルであった。ネパールではAクラスに入るのではと思えた。 ホテルから大使館通り方面を見た景色。 ![]() 徐々に高い建物が増えてきた。もう少し左手遠方の丘の上にはスワヤンブナート(俗称モンキー・テンプル)の白い仏塔が見えた。 一日早く帰ったのでバクタプルやボーダナートを見学に行った。カトマンズから東に向かう道路は片道3車線でしかも中央分離帯のある立派なものが完成していた(日本の企業が手掛けたものだ)。中古のオンボロ車で飛ばすものだから事故が心配だ。 ![]() バクタプルでの脱穀したモミを干している風景はこの季節の風物詩。 ![]() ボーダナートはいつものアングルで。 ![]() トレッキングの仲間は月末で先に日本へ帰った。 自分は残って家族の到着を待ってカトマンズ近郷の丘へヒマラヤを見に行ったのだが連日の曇り!6日間ほど全くヒマラヤは見られなかった(この間カトマンズ~ルクラ間の飛行機も運休で、ルクラでは帰るトレッカーがあふれ大変なことになっていた。ロッジは満員で泊まる所も無くなったということだ)。 この時期は乾季で雨が降らないという事は過去の話で、温暖化と共に地球の気候変動は当然ながらネパールも含まれているのだと強く感じた。 カトマンズの街の親子と今まで全く無かった歩道橋の建設現場。 ![]() ![]() 可憐なヒマラヤ桜。 ![]() やっと帰る日に快晴となり飛行機からエベレストがくっきり見えて感激した。 ![]() 自分にとって、帰るとまた行きたくなってウズウズするのがネパールだ。 10日目;
昨日メラ・ピークより無事下山した翌日は上天気!少し恨めしくもあったがやむを得ない。 朝日が差し込んで雪が解けるのを待って、一斉に濡れた物を干した。 昼頃メラ・ピーク側の尾根上にヘリコプターが飛来、外人が足の骨折でカトマンズへ運ばれて行った。 昨日の下山の際か? ![]() 11日目;いよいよ帰り、撤収だ。 ![]() 晴天の中のカンテガ(6779M) ![]() 途中コテで神が宿るとされている縦に二つの割れ目の入った大きな岩を見に行った。 クンガワラ(と聞こえた)と呼んでおり、この地域の人達は「神のパワーが働いて災難から守ってくれる」と信じている。割れ目の内側には神が掘ったという文字が描かれていた。 ![]() 15日目に一日早く(2日余ったので帰りを一泊多くのんびり歩いてきた)ルクラへ戻ってきた。 バザールが広場で開かれていた。いろんな生活必需品が売り買いされ賑わっていた。 バザールは今日木曜はルクラ、明日金曜はエベレスト街道の途中の宿場で開かれ、土曜・日曜はナムチェ・バサールで開かれるということだ。 ![]() 肉より、古くて重くて立派な秤に目を奪われた。 ![]() 唐辛子(チリ)や香辛料。 ![]() 街中の通りでは若者が道いっぱいになり、見物人もぎゅうぎゅうになってストリートダンスに興じていた。 ![]() そして翌朝、キャンセル待ちして飛行機に乗り一日早くカトマンズへ帰ってきた。 丁度ティハールのお祭りで休みの商店も多かったが、街角(チョーク)では路面に大きな曼荼羅が砂で描かれていた。梯子に登らないと良くみられない程であった。 ![]() 食事の事・・・
今回のトレッキングで最も不満に感じたのが食事だ。 日本出発前に食事は優秀なコックが同行するので楽しみだ・・・と言われ期待していた。 しかしルクラでそのコックが行方不明で同行しない、別のコックを手配したとのことでスタートした。 朝食はほぼ7時、メニューはおかゆ・卵(目玉焼きor具なしオムレツ)・パンケーキorチベッタンブレッド。 昼食はヌードルor具少々のスパゲティ・パンケーキ・スープ 夕食はご飯・みそスープ(具少々か無し)・キャベツ千切り酢の物・タンパクは時々餃子3ケとかコロッケ等が出た。 野菜がほとんど無く、タンパク質も卵以外は時々出されただけであった。 特にひどかったのはハイキャンプでの夕食(ご飯と具無し味噌汁)と朝食(お粥の上に焼き餅一つ)! メラ・ピークへ翌日再挑戦の期待もサーダーの「食糧が無い」の一言で断念したが、全行程を通じて食糧は足りなかったのだ。 高度順応滞在日を2日も飛ばして進んで来たのは「天気の崩れ」を予測して避けるため・・・と思っていたが実は「食糧が無くなる前にサミットまで」と勘繰ってしまいそうであった。 6日目のベースキャンプへ入る日にトレッキング会社No.1コック・D氏の行方が判明した。事件で亡くなっていたということだ。 後で知ったことだがコックが全日程に合わせたメニューを決め、材料の調達を任されて入手する、今回はD氏が全く手配しておらず、後を任されたコックが調達したわけだが全く不十分な材料しか持参しなかったようだ。 13日目(ルクラへ帰る2日前)にネパール料理・ダルバート、タルカリを注文した、これには野菜が入るので。 ![]() 味は今一だが初めて満腹した。 最終日の朝食・お粥に野菜の茹でものが加わった。 ![]() 最後まで「ミート・ツァ(美味しかった!)」が口から出なかった。 さすがにルクラへ帰った夕食はサーダーのロッジであり、今までの分を取り返すがごとく豊富なメニューで満足したことを付け加えたい。 厳しいことを書いてしまったが今回の様な事態はめったになく稀なことであろうと思う、 しかし日本手配のトレッキングではあまりにも日本食を食べさせる事が売りになり過ぎているのではないかと思った。 もっと現地食か又はすこしアレンジしたものを出してもらった方がコックも腕を振るえるのではないか。 もっともっとダルバート・タルカリを食べたかったな! 帰りの様子は次回。 いよいよサミット挑戦の朝、3時に起きすぐ朝食、雪は膝ほど迄積もっており依然として降り続いていた。
AM4時真っ暗のなか完全装備でアイゼンを付けピッケルを持ち、ザイルに10人が繋がって登り始めた。 ラッセルしつつの登りは非常につらいものがあって、息は上がるし脈拍は一気に最高になったが休めば回復するので体力的にはまだ余裕があった。 周囲は雪とガスが濃く、10人が確認できるだけでそれより遠くは全く認識できない状況であった。いわゆるホワイトアウトだ、約2時間ほど登っただろうか、高度も6000mを越え6100m程と思えた地点でとうとうシェルパのクライミング・リーダーが止まってしまった。方角が全く判らず地形の判断ができなくなってしまったのだ! これ以上無理をすれば遭難という事態も考えられ、結局登ってきたトレースが消えない内に、サミットは諦めハイキャンプへ戻る決断をした。 約一時間かけ無事ハイキャンプへ戻ることができた。 戻った時のテントの状況だ。 ![]() 雪を払ってテントの中へ。 ![]() アイゼンを脱いで一休みだがテント内は足の踏み場なし。 ![]() もう一晩ここで粘って明日再挑戦の意見も出たが、サーダーより「食糧を余分に持ってきていない」の一言で「何故無いの」という疑問は封印してベースキャンプまでの戻ることに決定。 大急ぎで撤収の準備。テントはシェルパが背負い、キッチンスタッフは道具を背負ってサーダーのルート案内で下山を始めた。 しかし昨日の固い雪面を探すのに手間取り、徐々にルートを外れていった。迷っている内に下山する他のパーティの人たちが合流し40人~50人の塊となった。 シェルパ達が交代でルートを探り少しずつ下りて行った。メラ・ラ付近にはクレパスが多く点在しており、登りでは東側へ迂回しながら歩いたので、メラ・ラの場所を確認できないと大変なことになると心配した。 でも山の神様は見捨てなかった。一瞬ガスが飛んでメラ・ラの大きな岩が見えた!全員オーーと歓声。 かなり西側へずれていたのだ。これで方角が定まり何とか危険を脱する事が出来た。 昼食抜きで6時間以上うろついたが何とかベースキャンプへたどり着いた。 よって写真も全く撮る余裕が無かった。 ベースキャンプも雪の中。 ![]() メラ・ピークへは登頂できなかったものの収穫の多い登山であった。フル装備の冬山を経験できたし、遭難の一歩手前までも経験してしまった。 6000mを越えても十分な体力と高度順応もOKであったので、晴れさえすればメラ・ピークには登れる自信が出来た。 天候は自由に出来ないので読みを間違えたなら諦めるしかない。 でも今回の登山で最大の問題は食糧だ、これは次回に。 ハイキャンプ(5780m)へ。
朝8時ベースキャンプを出発70分ほど登って氷河下へ着く、休憩所あり。ベースキャンプ方向を見る。 ![]() 氷河の舌端。 ![]() 氷河上でアイゼンを初めて付ける。 ![]() メラ・ピークを望む、最も右がメラ・ピーク。 ![]() アイゼンを付けると非常に歩き易い、1Hrでメラ・ラ(5415m)へ着き一休み。 ![]() メラ・ラより東方面のクーンブ山群。 ![]() 北方面の景色、何やら雲が湧きはじめた。 ![]() 中央の山を無名峰と言ってきましたがヒマラヤ名峰辞典で確認すると、実はピーク41の名がありました。 ![]() メラ・ラより上部のルートとサミットを目指す人達。 ![]() また東にチャムラン(7319m)も目の前に。 ![]() メラ・ラよりちょうど3Hrでハイキャンプ(5780m)へ到着、シェルパが先行しテントを張ってくれていた。 ここは大きな岩の南側で風が避けられるテント場になっていた。 ![]() しかし悪い事に天気は下り坂であることが徐々にはっきりしてきた。 ![]() そして暗くなり始めた頃より、とうとう雪が降り始めた。 サーダーの天気が崩れるという予想は当たった。しかし天気の崩れは早く、高度順応滞在を2日も飛ばして(早めて)登ってきたのが裏目に出てしまったようだ! 明日は3時起き、4時サミット出発の予定、どうなるのか心配しつつ寝袋に入った。
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